ジッダ案内(第3回): サウジアラビア第二の都市ジッダ ー 第2の政治・外交の中心地 ー

令和4年5月18日

建国当初は外交の中心地だったジッダ

 1932年のアブドルアジーズ初代国王によるサウジアラビア王国建国以来、首都は一貫してリヤドに置かれています。ただし、英国を始めとする主要国が引き続き大使館をジッダに構え、当初は外務省もジッダに所在していたことから、1980年代の半ばまではここジッダがサウジアラビアの外交の中心地とされてきました。

 したがって、1955年6月に日本とサウジアラビアとの間で外交関係が樹立され、1958年に東京に在京サウジアラビア王国大使館が開設されたのに続き、1960年には、在サウジアラビア王国日本国大使館が開設されましたが、当初は、ここジッダに大使館が置かれました。現在の総領事館の公邸と事務所は、この時に建設されたものです。

 そして、1984年に大使館が現在のリヤドに移転して以降、公邸と事務所はそのまま在ジッダ日本国総領事館として受け継がれ、現在に至ります。これらの建物は、2025年には70周年を迎える日サウジアラビアの長い友好関係の歴史の証人です。
 

イスラム諸国最大の国際政治機関OIC

 ジッダで触れておかねばならないのは、ここに本部が置かれているイスラム協力機構(Organization of Islamic Cooperation、略してOIC)と、イスラム開発銀行(Islamic Development Bank、略してIsDB)などのOICに附属する数々の国際機関の存在です。

 政治面では193加盟国を擁する国際連合、貿易面では164加盟国を擁する世界貿易機関など、世界には様々な国際機関がありますが、OICは、57の加盟国を擁するイスラム諸国最大の国際政治機関です。マッカ・マディーナを擁するイスラムの雄サウジアラビアのイニシアティブにより、1969年9月にモロッコのラバトで開催されたイスラム諸国首脳会議の決定により設立され、その翌1970年に開催されたイスラム諸国外相会合においてジッダがその恒久の本拠地とされました。

 中東和平問題のほか、中東地域のみならず世界各地で発生している暴力的過激主義への取組、今日では、イスラムと他の宗教との間の共存や、イスラム諸国学生に対する留学奨学金の付与など、イスラム諸国とその他の国々の関係強化に向けた多岐にわたる取組を行っています。2021年現在、計57の加盟国に加え、国連を含む計12のオブザーバー国・機関のほか、国内に多数のムスリム人口を抱える西側主要国を中心とする一部の国々がOICへの代表者を任命しています(ジッダに駐在する西側諸国の総領事は、このOICへの特使を兼任しています。)。

 暴力的過激主義への取組については、更に「知恵の声センター」という機関もあります。それぞれ英語、アラビア語、フランス語によるフェイスブック、ツイッター、インスタグラムとLinkedin、ユーチューブの計11のプラットホームを活用しつつ、様々なコンテンツを発信しています。一日平均15程度の新規メッセージを掲載しているというので、驚きです。中には、日本のイスラム教徒の生活を紹介する内容などもあります。お時間があれば、是非そのホームページをのぞいてみてください。

 OICに附属する専門機関の一つであるIsDBは、新型コロナからのイスラム諸国の経済復興、アフリカを始めとする貧困国への積極的な経済支援に努めています。このIsDBは、日本との協力関係も深く、例えば、日本の国際協力機構(JICA)と緊密なパートナーシップを維持しており、パキスタンのポリオ撲滅のための協力、パレスチナ支援における連携に加え、国際開発金融クラブ(IDFC)や南南・三角協力に関する国連と共催の局長級フォーラム等の国際会議での連携・協力の実績を重ねています。
 

 OICやIsDBと日本との間でも更なる交流と協力、これを通じたサウジアラビアを始めとするイスラム諸国と日本との関係の更なる強化が、ここジッダを両国の一つの結節点として今後も進んでいくことが期待されます。なお、2022年5月17日、新村総領事は、ターハ・ヒセインOIC事務総長(H.E. Hissein Brahim Taha, Secretary General of Organization of Islamic Cooperation)を表敬し、OICに対する初代の日本政府代表として新村総領事を任命したことを公式に通報する林外務大臣から同事務総長への書簡を提出しました。

1年のうち6か月は国王以下サウジ政府がジッダに移転するというのは本当?

 さて、ジッダ市内には、州知事公邸はもちろんのこと、国王、皇太子といった王族の離宮、そして各中央省庁の事務所も軒を連ねています。特に、旧市街近傍に位置する外務省、そして市内中心部を南北に貫くマディーナ・ストリート沿いにそびえる財務省は、首都の本省に劣らぬ立派な庁舎を構えています。このことからも、ジッダには、時には首都リヤドに代わって政治・外交・経済の中心機能を担うことが期待されていることが分かります。


サウジ最大の港湾ジッダ・イスラム港(写真:サウジ国営通信)

 具体的にジッダにそのような機能が移るのはいつなのでしょうか。そもそも、国王はいつジッダに来る必要があるのかと言えば、それは、アラビア語でハーディム・アル・ハラマイニ・アル・シャリーファイニ、つまり二聖都の守護者というサウジアラビア国王の正式なタイトルを見れば自ずから明らかなとおり、まずもって、イスラムの聖地マッカへの大巡礼(ハッジ)が行われるイスラム暦の第12月の時期が挙げられます。伝統的には、それに先立ち、ラマダン月、つまり有名な断食が行われる第9月の前から、この第12月が終わった後までが、国王がジッダに駐在する時期とされ、この時期には全閣僚を始めとする政府関係者がごっそりとジッダに「お引っ越し」をされています。もちろん、太陰暦に基づくイスラム暦は、西暦とは一致していませんので、具体的な「時期」は毎年10日間程度前にずれていくことになります。

 これに加えて、夏の時期にも、国王はジッダで過ごしてきました。余談ですが、故ファイサル国王の時代には、ほぼ毎年夏になると国王がターイフで過ごしていたことにちなんで、当時ターイフを「夏の首都」と呼ぶこともあったようです。このため、かつてから、「年のうち半分の6か月は、国王はジッダに滞在、多数の王族、政府関係者も国王に随行し、その間ジッダは政治・外交上の中心地に」等と言われていました。もっとも、特に新型コロナへの対応、G20メンバー国として政治・外交面での役割増進が近年目覚ましい現代のサウジアラビアでは、必ずしもこのように一年のうち半分の期間きっちりと首都機能がジッダに移っているということでもなさそうです。特に、新型コロナに見舞われた2020年と21年には、国王が公式にジッダに滞在したとの発表はありませんでしたが、2022年4月には、サルマン国王がジッダに到着した旨が報道されました。
 

2022年4月、ジッダに到着しマッカ州知事の出迎えを受けるサルマン国王(写真:サウジ国営通信)
 
 サウジ国王とジッダとの関係で、最後に御紹介しておきたいのは、紅海をバックに立ち上がるファハド王の噴水。街中のどこからでも見えるジェッダの人気ランドマーク。高さ312mを誇る世界で最も高い噴水で、ジェット機のエンジンを用いて時速350kmを超えるスピードで上空に向かって水を噴射します。この噴水は、故ファハド国王(在位1982年~2005年)によってジェッダ市に寄贈されたもので、1985年にお披露目されました。ジッダに来られたら、是非訪れていただきたいスポットです。おすすめはライトアップが始まる日没のタイミングです。 
 
ジッダ市街から見るファハドの噴水(写真:サウジ国営通信)
 
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